ミッション
創業者より、プレセナの2つのミッションについてお伝えします。
「ビジネススキルの体系化と普及」を通じて企業の発展と個人の成長に貢献する
「君はまだ若いから。経験を積めばそのうち出来るよ」
これは私がコンサルティングファームの新入社員の頃に言われて、絶望した言葉でした。確かこんな会話だったと思います。「そんなプレゼンじゃダメだ」「なぜダメなんですか?」「それじゃ、お客様の心に響かない」「お客様の心に響くってどういうことでしょう…?」「うーん…君はまだ若いからわからないかな。経験を積めばそのうち出来るようになるよ」
若いから、わからない。経験を積まないと、出来ない。そう言われてしまったら、新入社員の自分はどうすれば良いんだろう、どうしようもないじゃないか、と途方に暮れてしまった訳です。
「もしかして、教える側もわかっていない?」
それでも仕事をしなければならないので、自分なりに食い下がって色んな上司や先輩たちのアドバイスを受けました。同じように「そんなのじゃダメだ、やり直してくれ」というだけの上司もいる一方で、「ここが、こうダメなんだよ」と、具体的に噛み砕いて教えてくれる先輩もいました。「このプレゼンは、論点に答えていない。論点とはプロジェクトの目的を達成するために、今時点で意思決定をしないといけないことなんだけど、その論点がはっきりしていないから、お客様の心に響かないんだ」など。
私は考えるようになりました。頭ごなしに「そんなのじゃダメだ」という人や、「まだ若いからね」などという人は、実は教える本人も「具体的に何がどうダメなのか」を理解していないのではないか、言語化が出来ていないのではないか…と。
「ビジネスを進めるための普遍的なコツは何かあるはず」
その後もコンサルタントとして仕事を続ける中で様々な苦労があり、多くの上司や先輩から色々なアドバイスを受けました。しかし人によって言うことが本当にバラバラで、いったいどうすれば良いのか、何が本当なのか、わからずに悩む日々が続きました。
しかしずっと「何がどうダメなのか」「具体的にどうすれば良いのか」を自分なりに考えて言語化し続けた結果、バラバラだったアドバイスが自分の頭の中でつながってきました。そして最終的には1つの確信が芽生えてきました。それは「ビジネスを進めていくためには、普遍的なコツがある」ということです。
「同じ苦労をしている後輩に、教えてあげたい」
「出来ている状態」と「出来ていない状態」で、具体的にどこがどう違うのかを言語化したものを、私は「ラーニングポイント」と名付けました。例えば「良いプレゼン」と「悪いプレゼン」はどこが違うのか。それは、主張が明確か、論点に答えているか、ストーリーが受け入れやすいか、というようなものです。
これさえ最初から知っていれば、自分はそんなに苦労しなくて済んだのではないか。悶々と悩む時間を過ごさなくて良かったのではないか。そんなことを考えながら社内を見渡した時、自分と同じように悩んでいる後輩たちの姿が目に入りました。この「ラーニングポイント」を教えてあげると悩める後輩たちの役に立てるのではと考え、社内で後輩たちを集めた自主的な勉強会を行うようになりました。
「これは、世の中全般に広める必要がある」
その後、私はクライアントだったマブチモーターという事業会社に転職をし、経営企画として仕事をするのですが、そこでも同じ現象を目の当たりにしました。「こんな事業計画はダメだ」「どこがダメなんでしょう?」「それだと期待に応えていない」とか、「この製品企画の提案書はレベルが低すぎる」「どこがダメなんでしょう?」「こんなのじゃ意思決定出来ない」など。
自分が「若手コンサルタント」として苦労した時の会話が、全く業種の違うメーカーの、全く年代が違う人達の間においても、同じように繰り広げられていることに驚くと同時に、「ビジネスにおける様々なラーニングポイントを解明し、世の中全般に広めなければならない。そうでないと、多くの人が悩み苦しみ非効率な仕事をしてしまう」と強く感じました。
「ビジネスを進めるための普遍的なコツは何かあるはず」
そして2006年、「ビジネススキルの体系化と普及」を通じて企業の発展と個人の成長に貢献する、というミッションを掲げて私はプレセナを起業しました。
ビジネスで必要となる「スキル」は刻々と変化しています。世界のビジネスの最先端で、様々な業種・様々な職種において、どんなビジネススキルが求められているのか。私たちはこれを研究し、「出来ている状態」と「出来ていない状態」の違いを「ラーニングポイント」として明確に言語化し、体系化を続けています。
「普及」の方法も大きく様変わりしました。人間から人間に伝えていく講義スタイルでの普及はもちろんのこと、デジタルツールを使ったり、ボードゲームのようなキットを使ったり、様々な方法で世界中の人達に「ビジネススキル」を届ける工夫を続けています。
組織に関わる全ての人たちの、心のふるさとを創る
「2度の不本意留年」
あまり大きな声では言えませんが、私は大学を2回留年しています。それも自主留年ではなく、単位が足りずに卒業できなかった「不本意留年」です。
日本の同じ商社から2度内定をもらっていましたが、2度目の留年が決まった時に、人事に呼び出されてこっぴどく叱られました。「2回も内定して、2回も留年した人は初めてだ」「君のような学生を採用した、当社は見る目が無かった」「君が留年したせいで、新人の配属をやり直さないといけない」「会社に大きな迷惑をかけたことを自覚すべきだ」など。
「会社は僕個人を見ていない。いち学生としか思っていない」
もちろん、留年した自分が全面的に悪いのですが、1時間近く叱られ続けているうちに、だんだん違和感が芽生えてきました。それは「僕個人に対する話」が全然なかった、ということです。留年したので、僕だって悲しく悔しく絶望していました。会社の人事なんかよりも、よっぽど僕のほうが絶望的な気持ちだったと思います。でも、そういう話は一切出ませんでした。
僕は叱られながら考えていました。内定時代は、あんなにみんな親切にしてくれたのに…。留年が決まる前の僕と、決まった後の僕で、何が違うんだろう。僕は僕という、同じ人間なのに。そして、悟ってきました。結局会社は、僕個人を見てくれていなかったのだ、と。会社からすれば「京都大学法学部の学生が1人留年した。それによって会社に迷惑がかかった」だけなんだな、と。
「会社って、実は冷たい?」
その後私は社会人としてのキャリアをスタートし、いくつかの会社で仕事をしますが、常に感じる違和感がありました。それは「会社って、実は冷たい?」ということです。例えば「子供の運動会」と「客先プレゼン」で、どちらが大事でしょう。本心では「子供の運動会」が大事だと思いながらも休めず、仕方なく仕事をしているという現実を目の当たりにしました。
それ以外にも「定年して再雇用になった人」を見ても、考えさせられました。昨日までは部長や役員として仕事をしていた人が、今日から「再雇用の契約社員」になる訳です。昨日と今日では、恐らく同じ人で、同じ能力なのに。会社って、冷たいな、ドライだな、そういうものなのかな、と思いました。
「個人に向き合う。企業の論理をふりかざさない」
30歳を超えたあたりで、残る30余年の社会人生活を、どう過ごそうか真剣に考えました。そこで自分が感じたのは「企業の論理をふりかざさず、個人にきちんと向き合う会社で仕事をしたい」ということでした。みんな個人として、色々な思いを持っています。しかしそれが「会社」になった途端、個々人の思いは無視されて、「企業の論理」で物事が動いていく。
自分は自分。企業の論理に押しつぶされることなく、自分個人としての人生を、自分で生きていきたい。そう思いながら転職先を探しましたが、なかなかいい会社が見つかりませんでした。そして最後の答えは「ならば、自分でやるしかない」ということでした。
心のふるさとを目指して、よりよい会社を作り続けています
プレセナのもう1つのミッションである「組織に関わる全ての人たちの、心のふるさとを創る」には、そんな思いが込められています。「組織に関わる全ての人たち」というのは、社員だけじゃない。社員の家族もそう、お客様もそう、取引先もそう。みんなです。「心のふるさと」というのは、安心できる居場所、自分が一生涯を通じて輝いていける場所。そんなイメージです。
「企業の論理」をふりかざして会社経営をする方が、実はラクなんだなということは、もうだいぶ前に気がついています。個々人はみんな違うし、みんな色々な思いやこだわりがあるし、状況も様々です。そういう人たち1人1人に寄り添い、きちんと「個人」として尊重していくことは、本当に難しく骨の折れることです。
しかしプレセナは「組織に関わる全ての人たちの、心のふるさとを創る」ことそのものをミッションとしています。どんな苦労があろうとも、私たちは「企業の理論」をふりかざして、個人をないがしろにすることはない。そうかたく心に誓い、みんなでよりよい会社作りを続けています。